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葬儀について

葬儀について

「早いこと決めなあかん!」とはわかってるんですけど・・・

遺族が、故人をちゃんと見送りたいと思うのは誰も同じやと思うんです。

よっぽどのことがない限りですが。

というか、そう思いたいんです・・・。

もちろん、「盛大にやってくれよ、葬式代はないけど」とは露とも思っていません。

どうも、ここ最近特に都市部では家族葬や、ひいては直葬などお金をかけない小さな

葬儀が増えているようです。

裏側で葬儀ビジネスで脚光を浴びている葬儀社、寺院、お墓業者への不満があると思

われます。

こうした、いわゆる悪徳業者の仕打ち、たとえば二重価格とか、不明朗な追加費用

か、 高額なお布施とか戒名代なんかです。

で、そんなトラブルが増加していることで、国も「なんとかせなあかんな」ってこと

で公正取引委員会やら経済産業省やら消費者庁などが葬儀業界の問題点を、いわゆる

真っ当な専門家らと葬式について調査している模様です。

紙面でも、盛んに取り沙汰されてますよね。

  • 低価格時代「小さなお葬式」が流行!
  • 二重価格表示で見せかけの割引、悪質な葬儀社!
  • でたらめばか高いお布施!
  • 多様化する葬儀の形!
  • 終活セミナー活況、エンディングノートの書き方教えます!
  • 互助会は生き残れるか!

とかです。

で、僕が思うに、「家族葬や直葬がブームやから、そうしよ」って安易に決めたらあ

かんのちゃうかなーと思っています。

というのは、「価格が安いからと直葬を選んで、後になって後悔する人が後を絶たな

い」っていうことみたいです。

最近、逝かれた有名な歌手の場合でも、家族だけで直葬を行ってしまって

呼ばれなかった親戚や友人から「なんで、葬儀に呼んでくれへんの」とさんざん文句

を言われることがあると聞いています。

特に、この歌手のように多くの参列者が予想される人が亡くなったときは、通常の葬

儀にしなければ、葬儀後、自宅に弔問客が押し寄せることになりかねないですもん。

一方で、真反対でカネがかかってもいいから、故人のために立派な葬儀を行いたいと

いうニーズもあるのが昨今です。

参列者は多くないけど、こだわりの葬儀もありますし。

ま、言えるのは昔みたいに、「世間体もあるし、葬儀はきちんとそれ相応の規模でや

らんと恥ずかしい。」っていう意識は薄らいでいると思います。

社会環境と実情もふまえて、価値観に合った葬儀が模索される時代が続くんでしょ

う。

そういえば、お寺さんは・・・

昨今は寺離れ葬儀離れが進んでいるそうです。特に都市部ではその傾向が強くなっ

てきてるようです。

僕のときはかろうじて、違ったんですが、おもに都市部で行なわれている葬儀は、

身内が亡くなったときまずは葬祭業者に連絡することになります。

たとえば、病院で亡くなられるとしてナースは「どうされます?葬儀屋さん、ご紹介

しましょうか?」って普通に言いますもんね。

事の成り行き次第では、病院の提携先の葬儀屋さんの霊柩車で、その会社の会館など

に運び込まることになるかもしれないです。

で、葬儀屋さんと打ち合わせするんですが「お寺はどうしますか」と聞かれ、「ど

やったかな、あ、そう言えば」って感じで、ようようおもいだした宗派を告げると、

「お任せください。こちらで手配できます」などと言われます。

「じゃ、よろしくお願いします」としか答えようがないでしょうね。

で、葬儀屋さんはいくらかのバックマージンをその住職からいただくことになってい

るんです。

うちは、おやじが逝ったときは菩提寺とはいえるかどうか、祖母が他界してからお世

話になっている住職がいらしたのでそうはならなかったですけど・・・。

そういえば、ばーちゃんの時はオヤジどうしたんやろ?

で、その葬儀屋さんと提携している僧侶なんですがいったいどういう人なんかは、

こちらに情報もあるわけでなく、どんな人柄かもさっぱり分からん訳です。

でも、どうやら各宗取りそろえてあるらしいです。

ま、立派かどうかはさておいてビジネスですから。

で、故人と離れて暮らしていた祭祀承継者、喪主さんになると思いますが、会ったこ

とがないだけでなく、おそらく今後も二度と会わないような住職に葬儀を任せること

になるんですよね。

これって、どうなんですかねー。

そんなんやったら、「葬儀ってはたして必要なんやろか?」ってことです。

僕は、浄土真宗ですがキリスト教だって本質はおんなじかなとも思いますし。

ちなみに、天皇も皇族も葬儀には僧侶は呼びません。

仏教がわが国に入ってきた6世紀以前には、もちろん僧侶自体が存在しなかったんで

すもん。

日本では、江戸時代に強制的に寺の檀家にされるという国策が働いて、それが今でも

踏襲されて、なんとなく僕たちの背景に「お寺さん」があるんでしょうね。

基本的に、「私、仏教の信者なんです!」という自覚が無ければ僧侶なしでOKじゃ

ないでしょうか。

遺骨を寺院墓地へ納める予定があると、「お寺さんなし」は前提で無理なんですけど

で、葬儀なしの場合なんですが

家族葬と呼ばれてるものがあります。

「身内だけでにやりたいんです」ってやつです。

他に、遺骨を寺院墓地へ納める予定でなければ、樹木葬自然葬なんかもあります。

家族葬は、僧侶や葬儀社のスケジュールに追い立てられることもなく、遺族がゆった

りと別れを惜しむことができたり、会社に迷惑をかけないとか、

僧侶へのお布施、戒名代がいらなかったり、華美な祭壇の費用も節約できるなどメ

リットもありますね。

葬儀は誰のため?

 
まず、葬儀は、亡くなった故人のために必要なのか、遺族のために必要なのか・・・?

理屈で考えると、死者には儀式は必要ないですよねー。

死者は、自分が死んだ後で遺族や友達が何をしてくれようと、それを「ありがたい

なー」と感じることはできないと思うんです。

とならば、「葬儀は生きている者にとってのもの」と言うことができると思います。

しかし、多くの人は、たぶん僕と同じように「ちゃんと葬儀をやらないと、死者は成

仏できない」と考えているのではないでしょうか。

となると、死んだ人のためにも葬儀は必要やなと思ったりもします。

とどのつまり、よくよく考えてみると、死者のためというのは結局は生者のためなの

ではないかと思うんです。

なぜなら、「ちゃんと葬儀をしてやらないと、死者は成仏できない」と考えているの

は、今を生きている僕だからです。

死者はそんなことを思ってはいないでしょう。てか、考えられないのが死者なんです

もん。

だから、「死者にとっては葬儀は必要ではなく生きている人のために葬儀が必要なん

だ」ということになります。

そこでもうひとつ、僕たち送る側の人間の故人に対する感情です。

遺族は、ほとんど死者に対して愛情を持っています。

しかし、同時に、死者に対する恐怖心もあったりします。

死者が「一人では寂しいから、誰か一緒にあの世へ行ってくれ・・・」って聞こえたら

少し引きます、というかこちらも事情があって困ってしまいます。

お化けになって、しょっちゅう出てこられても困ったりするでしょう。(たまにやっ

たら、「ひさしぶり、どない?」って感じでしょうが・・・)

葬儀は、「ご冥福」を祈り、「どうか迷わんと成仏してくれよ」と、死者を平穏無事

にあの世へ送りためだすための儀式なんです。

葬儀は、僕たちが死者に対する慕う気持ちと、恐怖をうすれさせる緩衝材という、二

面の感情が混ざっていると思うんです。

で、「葬儀不要論」ですが

そんなこんなで、僕は、ちょっと違うかなーと思ってます。これは、経験上でのこと

なんですけどね。

なので、みなさんは「おれはそう思わんよ」をあえて書くとすると。

遺族のために」って言うこともあると思うってことです。

ところで、本で読んだことがあるんですが、その本、題名忘れましたすみません。

たしか終末医療に取り組んでいる医師の本だったです。

作者が言うには、「死んでいく人は、必ず後悔している。」らしいです、

たとえば「ああしとけば良かった、ああせーへんかったからバチがあたったんや」と

かです。その本ではもっと具体的に30個ぐらいあったと思いますが。

その本を読んだとき、僕、たいがい当たってたんでゾッとしたのを覚えています。

「うわー、オヤジどうして欲しかったかなー、聴くの忘れてたなー」とか後悔するん

です。

で、住職が読経してくれたりすると、ちょっと心が安らぐんです。

残された人への視点です。

死後のことなんて誰にもはわかりません。

だって、死なんと分からんし、死んだら伝える術がないんですもん。

なので、故人を愛する人が生前を回想したり、なんとか「ふんぎり」をつけて、

安心とまでは云わないまでも、なんとか希望やこれからを生きる力を見だすためにあ

るんちゃうかなーって思うんです。

となると、遺族のために「葬儀は必要ない」とはいえんよなーと思うんです。

僕、満中陰志やお盆に遺族が集まって、故人を偲ぶことってえーことやんって思いま

す。

月命日に読経してもらうのも、えーやんって思います。

なので、先に書いたような刹那の葬儀ならともかく、お寺さんとのつきあいも出来る

範囲で続けたらえーなと思います。個人的にです、あくまでも

葬儀って、遺族や生前の故人をよく知る人が愛する人をなくし感じる喪失感や凄然た

る悲しみをどどうやって乗り越えるという側面にこそあると思うんです。

もともと、葬儀って、死んだ人の魂を鎮め、慰めるものだとされています。

亡き魂を供養するという文化が、安定感のある精神をつくることになったんでしょ

う。

で、もしも、これから経済的な理由とか、刹那的な理由で葬儀をやめるとか、できる

だけ簡略化していったら、日本人のよさ、精神的な安定感まで失くしてしまうような

気がするんです。

日本には「葬式仏教」の異名があり、日本では、葬儀はお坊さんがするものという慣

行ができ上がっています。

日本において僧侶が葬儀にたずさわるようになったのは、江戸時代に檀家制度が国策

として民衆を支配したからなんです。

だから、僧侶側からの要求で葬儀を引き受けたわけではありません。

僕、僧侶の回し者ではないです、くれぐれも

僕たちの先祖は、国に強要されて、好むと好まざるとにかかわらず葬儀をしなければ

ならなくなったのです。

なので、僕たちは何の疑いもなく、なんとなく「ばーちゃんもしてたし」って具合

で、人が亡くなれば葬儀をするし、年忌法要も僧侶を招いて勤めるのが、当たり前の

ことだと思っているんです。

僕、前にも話しましたけど「浄土真宗」なんです。

多分、おおかたの皆と同じように死ぬときは何となく心細いです。「どこへ行ったら

よいかしら?」と「道に迷う」と思うんです。僕、とくに方向音痴ですから・・・

で、葬儀をしてもらえれば阿弥陀如来が「お前はここへ行け」と引導を渡してくれる

らしいです。

とても助かります、だって死んでから困りますもん。

心配の種がひとつ減りました。

魔除けの刀や、三途の川を渡る旅装束もいらんらしいです。

僕、ファッション大好きです。

なので、死んだら「あのコーディネートでお棺にいれてや」ってリクエストするつも

りです。

すみません、ながながと書きすぎました。

結論は、エンディングノートに「葬儀」をするかしないかの自分の意思表示する。

で、えーんじゃないでしょうか。

あとは、自分の大切な残されたものに任せましょう

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