歩み
歩み
28年間のサラリーマン生活、楽しいこともたくさんありました。
けど、うとましかったことも山ほどあったなー。
その分、いろいろ経験させてもらいました。とても感謝しています。
へこんだ時、「家族」「友人」に支えてもらって、
なんとか生きてきました。
今からは、「支える側」に回りたいと思って、
行政書士になりました。
微力です、でも、120%誠心誠意、頑張ります。
だから、期待してください。
大阪府立富田林高校、龍谷大学法学部卒業
富高
自由すぎて、楽しいことしかなかったなー。
もうちょっと、まじめに勉強してたらとも思うし
龍谷大学
体育局アメリカンフットボール部に所属、
寝ても覚めてもアメリカンやったなー。
一番もてた時期かしら...
株式会社近鉄百貨店入社(昭和59年)
就職活動はクラブを続けながらでした。
けど、正直、成績はもひとつでしたので
商社とか大それた考えはなかったです。
そのころも、ファッションには興味があったのと、
先輩もアパレルの会社に就職していて
楽しそうだったのでアパレル志望でした。
2社、運よく内定をいただきましたが、
百貨店業にも興味があったので何社かチャレンジしました。
親のすすめもあって、親孝行もえーなと思って
当時転勤もない近鉄さんに世話になることにしました。
面接では、「ファッションに興味があります」
とアピールしたつもりだったんですが、
実は一番いやな食料品部に配属されることになります。
辞令を落っことししそうになりました...
家庭外商部、食料品部、レストラン部
入社して、がむしゃらに、体力にまかせて働いてました。
それなりに、デパートマンを楽しみました。
でも、正直後半の昭和最後の年の阿倍野店の新レストラン街の
企画に携われたことが一番自分にとって肥やしになりましたね、
とても充実した毎日でした。
オープン時はやたら忙しかったことが懐かしい思い出です。
今は、ハルカスになって無くなってしまったけど、
今もレストラン街だけは好調のようですね。
僕が接触した企業さんも入店されています。
宣伝部、パソコン事業部、販売推進部
組織の一員を自覚したころ、デパートマンとして花形だったなー。
いやー、本当に楽しかったです宣伝部。
内緒で時効ですけど、この時期僕、スタイリストをやってました。
日本一のスタイリストさんとごく一時ですけど
行動をともにしていました。
某テレビ局のアナウンサーさんを担当させていただいてました。
その時、一瞬「会社やめてスタイリストになろうかな」
と思ったこともありました。
でも、大変すぎて逃げてしまいました。
でも、続けてたら身体こわしてただろうなと思います。
だって、先生は結局身体を壊して
引退を余儀なくされたからです。
二の舞が怖かったんです。
で、このまま、ずっと宣伝部にいたいなー
と思ってたんですがサラリーマンの宿命で
人事異動になります。
株式会社湊町開発センター出向、通信販売部
大阪市の職員になりました、
会社以外の組織の一員を経験しました。
いやー、この時は就職先間違えたなー
と本当に後悔しました。
だって、ギャラが違いすぎたんですもの...
なっときゃよかった「公務員」って感じでした。
でも、このとき店舗開発っていう
「あ、この業務やってみたいな」と
近鉄さんに入社して初めて思いました。
そして、出向期間を終了し、
近鉄に戻ることになります。
が、宣伝部在籍の実績を買われて?
百貨店に戻った先は通販カタログに関わる仕事でした。
はー↓、って感じでしたね。
「所詮、サラリーマン思うようにはいかんわ」
って感じました。
つくづくと...
商業開発部、店舗開発部
近鉄さん、4年に一度、
現状の仕事について将来の希望を
打診するシステムがありました。
今は、わかりませんけど...
で、その時「店舗開発業務をしたいです」
って意向を伝えました。
すると、叶ったんです。
聞くところによると、希望が叶う確率は
3%らしいですからとてもラッキーなんです。
嬉しかったですね「テナントリーシングの道」、やっと天職を感じました。
何年か前、阿倍野Hoopの地階はファッションテナントだったんです。
それをリニューアルしてレストラン街にする構想があって、
僕がそのうちの75%を誘致しました。
今も好調のようで相手さんにとっても
良かったなと思っています。
実際もっと、続けていいお店を
誘致する予定で自信もあったんですが、
もう我慢しきれんこともあって、
26年間の近鉄人生に終止符を打つことにしました。
後悔の微塵もありません、
お世話になった人だけ本当にありがとうございました。
(微妙でしょ、言いまわしが...)
この頃、最愛の両親を連続で亡くすという
生涯最大の悲しみの瞬間を味わうことになります。
株式会社ハヤマ入社
テナントリーシングを継続し、
新しくマンション管理を経験しました。
が、「残りの人生、これでえーかしら」
っと独立願望が芽生え、退社しました。
行政書士 吉村事務所 開業
第二の人生を歩んでいきます。
本当に困っている人を
何とかフォローしてあげたい
誠心誠意尽くします。
でも、依頼者と二人三脚で解決に向かうために
信頼関係を大切にしたいので、
信頼関係を築けないと判断したら
すみません、パートナーになれません。
一緒に、頑張りましょう。
経験は少ないです、
でも、依頼者が僕を選んでくれて
依頼してくれるのなら、
精一杯、120%全力で頑張ります。
逢って、お互いに納得して、
一番良い結果のために頑張りましょう。
QOLです!
あ、QOLって「生活の質」の略なんですが、
今の自分にとって一番よい選択しようねってことです。
僕、2009におやじを2010におふくろを亡くしました。
壮絶に悲しかったです。
正直、未だに引きずっています。
僕と同じ思いをあなたには、絶対してほしくない。
だから、「終活」を僕のライフワークにしたんです。
僕を信じてついてきてください、
必ず力になります。